夢真だからできること(2)/赤城 俊二

2018年11月20日

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常務執行役員兼技術人材部部長 赤城 俊二

「会社と人を知る」をテーマに、夢真ホールディングスの執行役員10人に対してインタビューを行う。前回に引き続き、常務執行役員技術人材部部長 赤城 俊二に、技術者から営業へ移った転機について聞いた。

辞めない理由

 激務の中でも私が辞めなかった理由が3つあります。入社初日の件も有りますが、一番は毎日が刺激的でやりがいもあり、私の性格にも合っていたことかもしれません。入社翌年から3年間は海外の作図拠点を行き来しました。オリンピックを控え学生運動が活発なソウルや、クーデターが続き軍反乱事件も起きたフィリピンや、天安門事件後の中国などです。当時通常では経験できない体験を数多くしましたし、肌で感じることが出来ました。滞在する間に地域性や歴史や文化を知り、複雑な思いをする事もありましたが、日本の建築を理解し良い図面にするために、向上心を持ってみんな真面目に働いていることが分かりました。そして何より真剣に向き合えば良い人ばかりですぐに仲間になり打ち解けられ、海外の技術者と日本の建設業界を繋ぐ取り組みは、貴重でやり甲斐のある経験でした。そうした中で私は、情報をうまく伝える仕組みを定着させられれば、きっと軌道に乗せられるとも感じていたので、途中からは自ら進んで3ヵ国の海外拠点と国内を行き来しながら、仕事に没頭するようになりました。

 二つ目の理由が、退職する仲間から会社の不満や愚痴を聞くうちに、「社員が辞めない会社にしたい」と思う気持ちがどんどん膨らんでいったことです。現在でもその気持ちが一番大きいかもしれません。

 そして、入社して間もないうちから保有し始めた自社株を価値のあるものにする、という理由もありました。未だに羨ましがられる事もありますが、正直あまり良い気はしていません。それは、上場に費やした17年間の道のりがあまりにも長くハードだった事と、まだまだ夢真は当時よりも伸ばせる可能性があり、株価もまだまだこれからだと思っているからです。(※あくまで個人の意見です。株式の売買は自己責任でお願いします。)

「日本の建設業界の問題点」

 多忙で密度の濃い環境で過ごす中で、日本の建設業界の問題点も見えてきました。先ず一点残念なのは日本の建設に携わる、技術者の価値(給与)が諸外国と比較すると低い事です、これはデザインに対しての価値観が低い事が起因していると思います。

 さらに、日本の建設業界は大きく分けると、「意匠設計→構造設計→設備設計→施工」という順を追って専門業者による分業体制でプロジェクトは進んでいきます。しかし次の工程を考慮した上でバトンを渡せば発生しないような無駄が、この各工程間での連携や知識が少ないため、簡単に発生しやすい構造になっていました。建設系の教育現場でも建設全体の流れと内容を教えますが、各専門会社への就職や各事業部への配属といった風に、自分の仕事の専門性が高まるにつれ、限られた範囲の経験しかできなくなりがちです。

 しかし派遣というスタイルであれば、そういった環境を少しずつ変えていくことができると、入社して5年が経つ頃から思うようになりました。夢真ホールディングスは業界全体に取引先企業様がいらっしゃるので、どの分野での業務も可能です。幅広い分野の経験をすることで基礎知識を身に付け、知識と興味を持って連携を意識できる技術者を業界に送り続けることは、日本の建設業界が抱える問題を解消する手段になるのではないか、これは一例ですが、そういった素晴らしい可能性がある会社だと思うようになりました。

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「技術者の価値(給与)を高めるための会社にしたい」

 入社してから7年間技術者として一生懸命働きましたが、技術者の価値(給与)が低いといった日本の建設業界の問題点に気が付くなど、理想と現実はだいぶ違うと感じ始めていました。そこで、徐々にですが会社も軌道に乗り、後輩にも恵まれ、結婚し子どもが生まれるなど、様々な面において安定してきたタイミングで私は大きな決断をしました。それは技術者から営業になることです。当時営業になりたいという技術者は一人もいませんでした。しかし私は、幼い頃から目指していた建築の仕事が自分の理想とは違うことに気づき、目標を切り替えました。これからは営業として、「自分と同じように夢真、そして建設業界に進む技術者の価値(給与)を高めるための会社にする」と決めたのです。

 夢真には他社には負けない要素が沢山備わっていました。海外の作図レベルも上がり商品価値を高める準備も整いました。また、国内の技術社員のスキルも上がり、情報を共有するデータベース化の準備も整い、あと変えるべき点として営業だけが残っていました。今こそ決断して営業になろうと思いましたが、それまで一緒に歩んできた学生時代からの親友も、後輩も、そして一緒に苦労したお客様も、なぜだか誰一人として賛同してくれる人はいませんでした。田舎の両親にまで当時反対されたのですが、私の決心は変わりませんでした。

【「執行役員インタビュー第1弾 赤城 俊二(3)」へ続く】

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